地震に関するいろいろと、さらにそのまわりのそれ。<3> 店長あめのもり

あの地震からだいぶ時間が経ちました。まだ余震がバンバン続いてるから正直めっちゃ恐いけどね。情報も世論もオレはさえぎりがち。もうしんどいわ。


それは被災地の状況があまりに悲惨でドーンって底なしに凹むっていうのもあるし、正直な気持ちを書くと大バッシングを受けるような、ネガティブな言葉もたくさん出てきてまいそう。
もちろん前回に書いたように、あったかい気持ちになる事象もたくさんあるんやけど、「??」なことも同じくらいたくさんあって、ツイッターとかアーティストとかが被災者に向けて公開してるYOU TUBEとか、あまり見たくないわ。
ここらでオレくらいが思いっきり悪態ついたろか、とも思うんやけど、さすが好感度が思いっきり下がるやろし、やっぱり被災者の人にとってそんな議論はまったく有益じゃないやろからやめます。
でも、いろんなことが結構うっとうしいっていうのが正直なところ。それだけは言うておきます。

========================================

とにかく、現地の映像は言葉にでけへんくらい悲惨。車にしても家にしても、あれだけオモチャのようにわんさか流されてて、なんて言うか“絵的な迫力”に圧倒されがちで、その一つひとつに思いを馳せるのは難しいけど、その中で、できる限りの想像力を働かせなあかんと思ってて。
「多数」って言葉に埋没されがちな一つ一つに思いをめぐらせなあかん。
2〜3人が無くなった事故/事件/天災と状況が違うやん? おなじ一つの命やのに。そこを必死になって想像せなあかんなぁ。


流された車が、死ぬ気で働いてあの日にやっと買った夢のマイカーやったかもしらん。
流された家が、あの日に引き渡された念願のマイホームやったかもしらん。
あの日に長年の闘病生活がやっと終わって退院しばかりの人もおるかもしらん。
何年も準備して、いろんなこと我慢して、あの日に自分のお店を構える人もおったかもしらん。
あの日に赤ちゃんが生まれた人もおるかもしらん。
次の日に生まれる予定やった赤ちゃんがいるかもしらん。
待ちに待った初孫の報告を受けたばかりのオジイチャン・オバアチャンもおったかもしらん。
土曜日が勝負のデートやった人もおるかもしらん。
あの日に大好きやった人とやっと付き合えた人もおるかもしらん・・・
そうやって、できる限りの想像力を働かせたい。


この真冬に家もなくストーブもないのはどれくらい辛いか。大好きな彼女にメールでけへんのはどれくらい辛いか。家族の安否が分からんのがどれくらい不安か。家がある、トイレもできる、お風呂も入れる、そんな“当たり前”がないってことはどれくらい厳しいことなんか。
ベッタベタなことばっか言うてアレやけど、想像力をフル稼働させなあかんと思てます。何度でも言うわ。


手塚治虫の『ブッダ』でも、ブッダが言うてた。


お金を持っている人は苦しんでいる人にあたえ、ちからのある人は苦しんでいる人をささえてやりなさい。
よぶんなお金もちからもない人は……せめて相手の気持ちをくみとってかわいそうに……と同情してあげなさい。


て。
作中、スッドーダナ王が死んで、ダイバダッタ王子のひたいの病気が治って、その後やね。
みんな言うてるけど、まず「自分ができることをやる」(←この言い回しも完全に合点はいきませんが…)。それも何もなかったら、被災地の人のことを思って、「かわいそうやなぁ」「辛いやろうなぁ」て思いをめぐらす。それだけでもいいんやね。


========================================

そして何より感じたのは、人間の罪深さっていう部分。個人的な話やし、結論は出てない話です。


あの日、テレビで悲惨な状況を知って、上に書いたように自分なりにいろいろな想像力を働かせて、グッタリするくらい凹むんやけど、そうなんやけど!!


その状況を知ってなお、「コレは、土曜プレミアムのゴールデンスランバーなくなるなぁ」とか、「ほなビデオ借りてかえろかな」とか考えてた。これは歴然と考えてた。
「今日と明日の予定なくなったがな。コンシャスの作業できるな」とか、「帰ったらAVでもダウンロードしよか」とか、「帰りにファミマでヨーグルトレーズン買うてかえろ(←実際に買うてかえった)」とか考えてた。
もっと言うとスカパーの【アダルト大賞2010】とやらが発表されて、オレの最近のお気に入りのAV女優、春咲あずみが選ばれて「おぉ!」て思ったりしてた。
つまり、1分前まで、被災者のことを思って究極までに不憫に感じてたのに、次の瞬間にはもうまったく別のこと、自分のことを考えてる。


けっきょく家でも、ムダな電気は使わんまでも、こうやってパソコン開いて、およそ被災地の人たちに有益になるとは思えんブログ書いたりしてる。
あれから5日ほどたって、当たり前のように「今日は晩飯どうしよ」「今日は風呂にお湯ためたろ」「ゴールデンウィークの旅行はどこ行こ」とかふと考えたりしてる。
あの日から暖房はつけてへんけど、寒さをしのぎながらオナニーまでしてる。彼女と「靴下に穴あいてて〜」みたいなフッツ〜のメールしたりしてる。
仕事場でも悲惨な現地を想像して暗~くなった、その次の瞬間、下ネタで笑い合ってたりしてる。


ほんま、何なんやろ・・・。罪深すぎるわ。


ちょっと話はずれるけど、地震があった金曜日の夜、電車がないから長い時間あるいたんやけど、渋谷のカラオケボックスには家に帰られへん若い子たちで長蛇の列ができてて。
何となく立ち止まってその光景をフワ〜と見てたんやけど、めちゃめちゃはしゃいでたよ。ちょっとした“非日常感”がテンション上げたんやろね。その子たちは部屋さえ確保したら「カンパーイ!!」言うて朝まで歌い倒してるであろうことは容易に想像つく。AKB歌って大盛り上がり。

被災地ではその瞬間も人がどんどん亡くなってる。その同じ瞬間に、そうやってカラオケでAKBでも歌って朝を待つ若者たちさえ、オレはそないに悪いと思えへん。
悲しいけど、そんなもんやなぁ。ほんまに人間って罪深いわ。


そんなオレらを神様はどう思うんやろ。それこそ被災地の人らはどう思うんやろ。憎いかな。もしくは「人間なんて・・・」って諦観するやろか。さすがにむかつくかなぁ。まあ当事者はそんなん考えてる余裕はないか。


でもオレなんか土曜日にテレビで被災地の悲惨な状況を見て、その上で「帰ったらAVダウンロードしよ」思て、ファミマでお菓子かって・・・て、してるんやもんなぁ。被災地の人らに合わせる顔がないわ。


そのへんは、もうほんまに分かりません。
でも、やっぱり底なしに凹みます。結論のない話ですんません。


次はツイッターに関する話です。(つづく)

店長あめのもり 2011年3月17日

地震に関するいろいろと、さらにそのまわりのそれ。<2> 店長あめのもり

知ってる人も多いやろけど、ツイッターではホリエモンへの「拡散希望」の多いこと多いこと。1分に1人くらいお願いしてたやん。さすがフォロワー65万人。
普段、あれだけ悪者扱いされて、あれだけ悪意のあるツイートばっかりされてる人やのに。こんな時はよってたかって「助けてください!」やもんね。
でも、それでいい。なんせ、困ってるんやからお互い様。


“お互い様”。いい言葉やなぁ。
「mottainai」みたいな感じで、世界語になってもいいくらい。「otagaisama」。
イヤミは言いっこなし。困ってるんやから、今までのことは水に流して、いろんなことをナシナシにして、とりあえず助けて、と。それでいいやん。


人は、人の寛大さに甘えて生きてる。だってお互い様やもん。
ベタなこと言うけど、誰だって一人の力で生きられるわけないし、助け合って生きてるわけで、だからこそ助けられる時には助けてあげたい。いつかまた、いやいつだって誰かに助けられてるんやもん。助けられる時は助けとかんと、申し訳ないし、かっこわるいわ。


いっつもいじめてる人に向かって、困ってる時には「助けて!」って言う。それでいいと思うなぁ。甘えよ。人間の寛大さに。
ほんで、助けを請われた人は、いろんなことがあるかもしらんけど、いったん水に流して、全力で助けてあげよ。


そんな、言わば人間の弱さみたいな部分。そんなんが見え隠れしてたけど、オレはそれがすっごい好きやし、全力で肯定したい。


人間は理論でもプログラミングでもなく、感情で生きてるんやからね。周りの人間の寛大さの中で、状況に応じて、都合良く立ち回る。それでええやんって思います。

========================================
それとは別に人間の強さもすっごい見えたね。


もうネットでもだいぶ話題になってるけど、このおじいさんとか、確かにグッとくる。



こんな大惨事が起こって、これだけ悲惨な状況にあっても、みんな希望を捨てへんし、スポーツ選手もアーティストも、もちろん一般人もそれぞれが手を差し伸べて、「支え合っていこ!」言うて表明してる。


「希望」やで。希望。めっちゃ感じるもん。被災地はあんなけ「絶望」的やのに。
しょせんは当事者じゃないからかもしらんけど、そうは言うても、人はまた前を向いて力強く歩いていくし、他人ごとのような言い方で申し訳ないけど、あれだけ壊滅的な被災地だっていつかは復興して、生まれ変わっていくんやろし。
そういう人間の強さに、何と言うか、言葉にはでけへんけど、思いを馳せてまいます。


オレもあの日、高田馬場から恵比寿まで約3時間近くあるいたけど、途中で、「2階の部屋空けてます」とかたくさん見かけたし、炊き出しであったかいスープを無料で提供してる人とかもテレビで観た。「pray fo japan」とかも胸が熱くなる。
オレの実家のお隣さんは、オレがツイッターで無事であることを書いたから、アナログな両親のために、わざわざプリントアウトして持って行ってくれたらしく。
関西の友達もみんな「無事?」いうてメールくれたし、東京の友達も「帰られへんなら、うち来て」言うてたくさんメールくれた。何回も何回も「ありがとう」を使て、「ありがとう」が安っぽなってまうくらい、みんなに感謝を伝えてました。とにかく人の「善意」が街中にあふれてて、あったかい気持ちになる。


========================================
で、普段はギスギスしがちな現代人やのに、なんでこんなに急に助け合ったりすんのか。それって言わば「マツリ」なんよな。言い換えれば「炎上」。もっと分かりやすく言えば「ブーム」やね。“慈善ブーム”が起こる。それでいい。


ちょうどこの前ケンタとコンシャスラジオでしゃべってたけど、「ブーム」でいいねん。タイガーマスク現象の時に、多くの人が一斉に養護施設にモノを寄付しだしたやん? いちど火がつくとブワー! って広がっていく。それって普段は本とか読まへん人が「1Q84」だけは読んでみたり、サッカーなんか興味ないのにワールドカップだけはテレビで観たりするのと同じで。
つまりはそういう機運さえ作り出せば、所詮はブームやとしても「善」へと走る人は多くなる。結果としてそれらの行為は「善」につながってるんやから、それでいいんやね。


ここ2日くらい、一般人のオレらだって、ミクシィとかで過去の経験を紹介する人、募金の方法を紹介する人、心の温まる画像・動画を紹介する人・・・て、みんながみんな被災地の人のことを考えて、自分なりの方法で「善」を体現してる。


ちょうどあの地震のあと、高田馬場から新大久保まで歩いて、そこの漫画喫茶で『新ブラックジャックによろしく』を読んでたんやけど、主人公の斉藤先生の「善意は欲です」って決め台詞があって。


。つまりはエゴ。「困ってる人を助けたい」とか「被災地の人のために募金したい」っていう感情は人のエゴと同居してるって言うことができる。それはもちろん問題ないことやしね。
「善意は欲です」。タイミング的にもその台詞が重なってめっちゃオーバーラップしたなぁ。それで良い。結果を大事にしたい。


ユウキもツイッターで「偽善かどうかなんか後でよくない? そんなん被災地の人には関係ないし、今はみんなが心配してるんやってことを伝えるだけでも意味があるんちゃうか」みたいなことを書いてた。


「善意」っていうのは人の欲の中に住んでるものって定義していいやろし、それは言わば“本能”とも言える部分で、もともと人に備わってる部分やと思ってます。
「美味しいご飯食べたい」。「かわいい女の子とセックスしたい」。そういうのに理由がないのと同じで、元来、「人は人を助けてあげたい」と思うもの。オレはそう思てます。
にもかかわらず、普段、すすんで社会貢献とかを実行する人が少ないのは、ちょっとした面倒くささとか、仕事とかデートとかと比べると、相対的に優先順位が低いってだけじゃないかな? あとはいまいちきっかけがなかったり。


でも世の中の機運と相まって時に「助けたい欲」が爆発する。それでいい。ほんで、それが世の中的に「偽善」と呼ばれるなら、偽善でOK。だってその偽善、誰か損する? 少なくとも被災地の人にはどっちゃでもいいもんね。なのにツイッターとかは、ムダにその辺の議論がなされてて、げんなりします。


「力になるで」「共にいるよ」て表明するスポーツ選手とかアーティスト。地震で帰られへん人のために部屋を空けた人。寒い外で過ごさなあかん人にスープを提供した人。オレに「大丈夫?」「泊まりにきてね」てメールくれた人。
仮にその人らが1週間後には悪いことばっかしてても全然かめへん。だからこそ、ブームにのっかって募金しよ、助けてあげよ、て思うわ。1ヶ月後には、被災地のことなんて、まったく考えてない。それでいいと思てます。それが次の「人間の罪深さ」の話にもつながる部分でもあんにゃけどね。(つづく)

店長あめのもり 2011年3月14日

地震に関するいろいろと、さらにそのまわりのそれ。<1> 店長あめのもり

部屋の電気はデスクライトだけ。暖房は消して、家の中でまさかのダウン着用。どうせテレビも普段ぜんぜん観やんから、これを機に、主電源を切りました。


ツイッターを見るのも、テレビ(ニコ生)を見るのも、正直しんどなってきたし、インプットをいったんやめてみよ。アウトプット欲の方が強くなってきたわ。
表題に関する件、何回かに分けて投稿してみます。情報の古さとか、時系列がごっちゃになってたりって部分は目をつむってくらはい。

========================================

未曾有の大惨事から2日ほど経って、やっぱり思うところがたくさんあるなぁ。「善と悪」とか「被害者と助ける人」とか、それぞれがごっちゃになって、めっちゃいろんなことが頭の中に浮かんでは消え、また浮かんで。
何も言わんのが一番ラクチンなんやけど、とは言え、せっかく自分でメディアを持ってるんやから、責任もって書いてみるのも一興かな、と。このタイミングで、ブログもまた書き始めたらいいしね。


金曜日。講師をやってる専門学校の打ち合わせ中に大きな揺れがあって、生徒と一緒に建物の外に避難。その日はそのまま解散したけど、もちろん電車は止まってるから、高田馬場から新大久保まで歩いて、漫画喫茶で一休み。
他の例にもれず、連絡と情報はずっとツイッターでした。ツイッターの投稿も数がハンパやなかったね。
その後、2時間くらいに友達と連絡が取れて、そこから歩いて恵比寿まで行って、土曜日の夕方までお世話になってたんやけど。


思うのは人間の強さと弱さっていう、まったく逆の2つ。ほんで罪深さかな。(つづく)

========================================

先に言うておくと、募金はオレはココからやりました。一番ややこしくなかったよ。
「ヤフーウォレット」とやらが謎やったけど、つまりはヤフーのIDのことなんかな? とにかくヤフーのIDでできました。

店長あめのもり 2011年3月13日

consciousのオープンについて 監督ツジケンタ

ども、ケンタです。

オープンがのびのびに遅れているconsciousですが、
ようやく!! 2011年1月1日にオープンします。

とりあえずオープンさせん事には始まらん!! と言う事で、
アメヤンやルーキー櫻井君など書き手はもちろんですが、
サジを中心にweb班が仕事の合間をぬって頑張ってくれています。

もうしばらくお待ちくださいませ。

監督ツジケンタ 2010年11月 6日

遅れておりますが! 先輩マコト

着々と進んでおります!!

まだか!との声も頂いておりますが、オモシロいものが出来てきていますので、もう少々お待ち下さい!!!

随時お届けしていきます!

担当する写真を使用したコンテンツでも面白いメンバーが揃ってきているので、まだなんのオイニーも届けれてないですが、そのうちお届け致しますー!

もう少々!もう少々!お待ちを!!!
乞うご期待!

先輩マコト 2010年7月 4日
執筆メンバーたち
  • 店長あめのもり店長あめのもり
  • 車掌ばば車掌ばば
  • 監督ツジケンタ監督ツジケンタ
  • 主任サクライ主任サクライ
  • 先生サジヤマ先生サジヤマ
  • 先輩マコト先輩マコト
最新のエントリー