ソームと話した政治のこと。

【第4回】ジャージでデビュー!

  • 松岡信道
  • あめのもりたけし

最初の選挙の時。普通に考えて、何をしていいか全然分からんよね。まず何をして、その次に何をしてっていうのが。どんな準備が必要で、どんな応援が必要で、みたいなことが。

うん。分からん。サラリーマン時代に異動の話が出て「辞めたろか」って思って、お世話になった先生とかに相談にいって。それで「やるなら若い方がいいよ」みたいな声もいただいた。異動になったのが確か8月で、辞めよって決めたのは11月くらい。で、12月の末で辞めた。それまでにあった貯金と最後にもらったボーナスとでだいたい200万あったんやけど、それを握りしめて1月から無職になった。

選挙はその年の4月やんね? 3ヶ月後に迫ってる。選挙に受からんかったらニートやんか(笑)

そうやで。ほんまに。

ほんで?

11月には会社を辞めることを決めてたから、小学、中学、高校の友達に「こうこうこうで、立候補しようと思ってて」っていう話をし始めて。ホームページを作ってもらったり、チラシを作ってもらったり。草案みたいなのを12月までに考えた。1月からブログを書き始めて、駅に立ち出した。

駅に立つっていうのはどういうスタンスで? まだ立候補してないんやから「投票してください」ってことじゃないでしょ?

うん。ただ「僕はこんなこと考えてます」って。だからその時は普通に「松岡と言います」みたいな。

別に何でもない一般男性が配ってるってことやんね? 

そう(笑)。そうやってやるうちに、中学の連れとか、連れのオカン、オカンの友達、近所のおばちゃん、母校の先輩後輩……って、いろんな人が「僕の知ってる子がこんなこと言うてるねん」みたいな感じで輪が広がり、仲間が集まってくれて、それで選挙にのぞんだ。

そっか。金かかるでしょ?

かかるでー。

それは事務所をかまえたり、チラシも刷らなあかんし、車とかも用意せなあかんしっていうことやんね? それってどれくらいかかるの?

だから貯めてた200万よ。

じゃあ選挙に落ちたら仕事もないし、貯金もないしっていう……。

うん。アホやな、完全に。でもそれだけ必死やったから結果もついてきたんかもしらんな。

そういうことか。

「後がない」っていうのは、自分の中で恐怖やったし。

その最初の選挙の時に一番訴えてたことはなんやったん? 「私はこうします!」みたいな。いわゆるマニフェスト。

えっとねぇ。「ココをこうしたい」みたいなのはほとんどなくて。僕らが子どもの時はこうやったけど、それから20年が経ってこうなってる、と。このままでええんか、みたいなことを書いたのは覚えてるなぁ。

それは例えば?

僕らが子ども時は固定電話やったやん? 携帯なんかなかったし。女の子に電話するにしても「○○小学校で○○さんと同じクラスの松岡と言います」とか言ってたやん。

そうね。ドッキドキやったもん。

そうやって代わってもらうわけやん? そしたら親は「松岡君って誰なん?」ってなるやん? で、参観日の日とかに「あ、あの子が松岡君か」って親も自分の子どもの交友関係が分かったし、電話をかける方も、言葉遣いとか気にして学ぶ局面やったと思うねん。けど今は小学生でも携帯を持ってる子がいたりしてさ。ピッて電話して「あ、俺やけど……」ってなってる。

そういう部分での違和感だとかを訴えてた、と。

そう。そんな考えから「本当に携帯を持たすだけで子育てなのだろうか」とか。ほかには、昔はコンビニもなかったし、スーパーも深夜営業をやってなかったから、オカンがポテトサラダを作ってて、冷蔵庫を空けるとマヨネーズがないとなると「隣のおばちゃんちから借りてきて」って遣いに出されたこととかもあって。で、うちはキューピーやったけど、隣のおばちゃんは味の素で。マヨネーズの味がちゃうかった。だから、その日だけポテトサラダの味が違う日があったんよ。そういうこととかを覚えてるんやけど、そうやってご近所付き合いがあったやん?

そうやね。

今は隣に誰が住んでるか知らんしなぁ。「例えば大地震が来た時に、そんなことで本当に助け合えますか?」みたいなこととかね。俺らが中2の時に阪神大震災があったやん。「ご近所同士の顔が見えなくて、助け合えますか?」とか、そんなことを書いたりもした。

へ~。

あとは財政のこととかも書いたし、で、一番書いたのはやっぱり「議会に若い人がいない」ってことかな。要するに、豊中市には30万人の有権者がいて、選挙に行ってる人は11万人や、と。残りの19万人が選挙に言ったら結果はまた全然変わるわけやん? 大学の時も投票率とかの勉強をしてきたからね。世の中をよくするってことは、多くの人が関心を持って、責任のある投票をする。それで選ばれた政治家っていうのは、【世襲で渋々議員になった】とか、【組織に担がれて議員になった】とかそういう人じゃなくて、前向きにやってる人で有権者が積極的に選んだ人やからさ。そういう社会にしましょう、みたいなことを訴えて。だから、むしろ11万人の人に訴えるんじゃなくて、19万人の人に訴えてた。

その辺の感覚っていうのは、今も変わってないんでしょ?

そうやで。

豊中市議会議員 松岡あきみち 市政報告会 その2

その手応えっていうのはあるの?

それはね。あると言えばあるし、ないと言えばない。えっと、駅に立ってたのも、スーツ着てたんやけど、他に若い候補者もいていまいち差別化ができへんようになって。みんな「ああ、なんか若い人が立候補しはるんや」っていうことは認識してくれても、名前までは認知されへんし、だからって変に名前を出したりすると選挙の事前運動や、みたいに思われることもあるし。

それはあるやろね。

でも他にも若い候補者が増えてきて、「この前も岡町の駅にいたよね」とか言われて。岡町には行ったことなかったのに(笑)。そういう中で、一緒に応援してくれてた友達が、経歴にラグビースクールのコーチをやってるって入れてるんやから「ラグビーのジャージでやったら?」って提案してくれて。じゃあ周りも「そうや! そうや!」って。でも俺はアメヤンも知っての通り、マジメやん? あんまり突飛なことはできへん性格で、順当に、無難に行きたい方やんか?

まあそうやね。うん。そうしとこ(笑)

だから、「ジャージなんかイヤや!」って言うたんやけど、「それやったら応援せえへん」みたいに言われて。仕方ないからジャージ着て、短パンはいて、ハイソックスはいて。で、背番号は「26歳」ってして。3月くらいかな。

まだ寒いわー。

寒いよー。そこから「あ、あのジャージの子」みたいになった。そこが大きいなぁ。当選した後にまたスーツを着たんよ。そしたらクレーム来て(笑)。「ジャージの子」で通ったからね。「着替えるんかいな!」みたいな。

「ジャージあってのお前やろ」と。

そうそう(笑)。で、まだ若いしええかと思って、今もジャージで立ってるんやけどね。

あ、そうか。今もか。

当然、豊中市だって、出入りがあるやん? 俺が4年前に当選した時から知ってる人は「ジャージの議員さん」って分かってる人もいれば、「この人、なんなん?」みたいな人もいて。

そらそうや。引っ越ししてきた人とかはね。「気持ちわる!」って思うよ(笑)

そう。「なんか配ってきた!」って。

いや、ほんまに思うよ。「変な人おる~」って。

それで「何なん?」って思ってチラシを受け取ってみたら市議会議員、みたいな。そういう人ってさっき言ってた19万人の方の人やと思うねん。

あ~、そうやね。

「あ、そうなん?」みたいな。むしろ俺が訴えたいのはそっちの人やし。ノボリを出して、タスキかけて、いかにも「市議会議員です~」みたいにやっててもアカンやん?

あ、そうやね。19万人の人は最初から受け取らへんか。

たぶんそうちゃう? 拡声器を持ってギャーって言ってたって、「あ、市議会議員ね」みたいに思われる。「じゃあ別に俺はいらんわ」みたいな。チラシ自体を受け取らへん。でも「うわ、気持ちわる!」って思っても、思わず受け取ってもらった、でかまわないから。そこから読んでくれたらラッキー。


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